プエルトリコ

プエルトリコの紹介




プエルトリコPuerto Ricoは15世紀末、コロンブスの第2回航海で発見された。当時は原住民のインディオが住んでおり、「ボリンケン Borinquen」と呼ばれていた。スペインの植民地となったが、19世紀末、米西戦争の結果、スペイン領から米国領となり、現在は米国の自治領である。

スペイン人とアフリカから連れてこられた黒人との混血が多く、英語のほかスペイン語が公用語となっている。原住民の子孫はほとんど残っていない。人口は約360万人、島の広さは東西に180キロ、南北に60キロで、四国の丁度半分ほどである。北の海岸は大西洋に、南の海岸はカリブ海に面している。

首都はサンフアン(San Juan)だが、ニューヨークには大勢のプエルトリコ人が住んでおり、ニューヨークが首都だと冗談に言われる事がある。サンフアンに次ぐ都市は、南部のポンセ(Ponce)、西部のマヤグエス(Mayaguez)である。ニューヨークからサンフアンまでは航空機で3時間、マイアミからは2時間半の距離である。

サンフアンの岬に突き出たところがオールド・サンフアンと呼ばれる地域で、スペイン風の石畳の古い街並みとなっている。懐かしいよき時代を髣髴させてくれる。海に面してエル・モロ(El Morro)要塞が残っている。スペインの内乱を逃れてこの地に逃れ余生を送ったチェリストのパブロ・カザルスを記念して、「パブロ。カザルス博物館」もオールド・サンフアンにある。因みに毎年、カザルス・フェスティバル(音楽祭)が開催されている。

プエルトリコ政府の経済開発庁、FOMENTOが中心となって、長年にわたり各種の企業優遇策をとり、海外からの企業誘致を進めている。日本からも10数社の企業が現地に進出している。

キューバのハバナに代わる米国人の観光地(カジノもあるリゾート)であるとともに企業誘致に成果を挙げ、住民の生活レベルも大きく向上した。

将来プエルトリコの行くべき道として、現状維持派と米国の51番目の州を目指す派と独立志向派と住民の意見は大きく3分された議論がずっと続き、結論が出ない状況、これが現在プエルトリコが抱える大きな課題である。