奴が峠に顔を出さなくなってから3週間。また柄でもなく心配になってきた俺はついに毅の家を訪ねることにした。大学終わってからそのまま泊まっちまおうと思っていた。今日は午前の授業が終われば午後はない。いつもは家帰って寝るんだが、今日は別の方向へ行ってまっすぐ毅の家に向かった。30分ぐらいで毅のいるアパートに着く。一ヶ月ぐらい来てねぇことになるから、かなり久々な気がした。こんなに間があいたことなんてなかったんだけどな。階段を上がって「中里」と書かれたドアの前に立ってインターホンを押した。返事はない。仕方ねぇから無理やり作らせた合鍵をさしてまわした。合鍵を作れ、と言い出したのは意外にも毅だった。学校行くときに俺のほうが遅いときとか学校帰りに毅より先に帰ったときとか、ドアの前でずっと待ってた俺に「あると便利だろ」と言ってある日渡された。いつもはめっきり消極的で拒絶しやがるくせに、そういうときは強引というかマイペースというか。俺も悪い気はしなかったからあっさり受け取った。その合鍵もここしばらく使っていなかったが。
「毅ー。いるのか?」
やっぱり返事はねぇ。まあここで遠慮するような俺じゃねぇ。ずかずかとあがりこんで戸を開いた。するとそこにはポツリと布団がしかれ、掛け布団がこんもりと膨らんでいた。上下して動いている様子から家主がその中にいることは明白だ。俺はどっかりと布団のそばに腰を下ろし、軽くそのふくらみを叩いた。
「おい、見舞いに来てやったんだ。ありがたく思え。」
もぞもぞと動いた布団の中から出てきた顔に俺は思わずぎょっとした。
「お前…やっぱ調子悪かったんじゃねぇか。」
自分でそう言って、おかしいと思った。なぜなら調子が悪そうに見えたあの日はもう3週間前ものこと。3週間も調子が悪いなんて事はあるのだろうか。いや、あるのかもしれないがここまで長引くことは少ないのではないだろうか。一度は回復して、また体調を崩したのだろうか。しいていえるのは3週間前よりさらにやつれていたということだ。いろいろな考えがぐるぐると頭を回るが、それをよそに毅の口から真っ先に出た言葉はごく簡単なことだった。
「別に…」
「別にじゃねぇだろ。いつからだ。」
俺が聞きたい返答を「別に」という一言で片付けられちゃたまらねぇ。駄目だ。こんなの俺じゃねぇ。こんなに…こんなに心配になるなんて思わなかった。どうしてただ「体調を崩した」っていわねぇんだよ。俺の考えすぎなのか?冗談じゃない。
「熱あんのか?」
「少しな。」
額に手を当てようとしたそのときだった。毅が一瞬だけ、ぎゅっと目を閉じて体をすくませた。それはまるで、怯えるような―――――
それに違和感を覚えつつも、どれぐらい熱があるのか知りたいから気にせず手を当てた。それはとても熱く、まさにふっとー寸前ってやつ。「別に」どころの話じゃねぇだろうが。俺は洗面所に行ってたらいに水を張り、タオルを水でぬらしてもってきてやった。額に乗せれば少しだけ楽になった表情になり、ほっと息を吐いた。こんな熱じゃただ寝ててもなおらねぇだろ、フツー。
「お前3週間前からこんななのか?」
たずねてから部屋の日めくりカレンダーを眺めた。それはちゃんと今日の日付に変わっている。毅は几帳面なんだかしらねーが必ず毎日日めくりカレンダーをめくる。俺なんかめんどくさくてそのうちめくらなくなっちまうだろうが、毅は毎日毎日めくっている。これがめくられて今日の日付になっているということは、とりあえず3週間ずっと寝たきりではなく一度は起きたということがわかった。
「…仕事は行った。」
俺、何回か質問してるんだけど。しかも微妙に返答になってねぇ。俺も気がみじけぇほうだからだんだん苛々してきた。いつも詮索する必要なんかねぇと思ってたのによ。どうしても知りたくなっちまう。
「じゃあ体調はずっと悪いままだったのかよ?」
「…仕事が出来ねぇほどじゃなかったからな。ただちょっとこじらせちまった。金曜から休みとってるんだ。」
…ってことは4日間寝込んでるってわけだ。でもカレンダーは変わってやがる…。何テンポか遅れて俺の聞きたいことが少しずつ返ってくる。だけど不安は消えねぇ。この底知れぬ不安は何だ。どこから沸いて来るんだ。わからねぇことだらけで余計苛々してきた。まぁ、とりあえず今日は泊まるつもりだったから、俺直々に毅の世話でもしてやるか。
「今日泊まってくからよ。ゆっくり寝てやがれ。」
「…慎吾、」
「次はいい、って言ったのお前だろ。忘れたか?随分物忘れが激しいんだなァ。」
「…次に峠であったときって意味だ。」
「時効だ。」
毅がなんと言おうと泊まってやる。やっぱりほうっておけねぇ。付き合う前は絶対ありえないこの気持ち。以前の俺なら毅がのたれ死のうとなんだろうと気にも留めなかったはずだ。だけど今はほうっておけねぇ。なんかやばい気がする。
「熱下がるまで俺が面倒見てやらぁ。感謝しろよ。その代わり礼はたっぷりいただくからな。」
体調が悪い奴に情事を無理強いするほど俺は強引じゃねぇ。まぁ前だったらやりかねねぇけど。したくてもできねぇんだから、治ったときの礼はきっちり同じ分だけ返しても悪かねぇだろ。それにやっぱりこんな毅は違和感があってむずがゆい。俺らしくねぇけど早くよくなってほしい。
それに――――“あのそぶり”が気になって仕方がなかった。あれは本当に怯えているようだった。気のせいだと思いたいが、俺の思考は簡単にそうさせてくれねぇみたいだ。そんな拒絶されるようなそぶりを取られては、いくらこの俺でも少しへこむぜ。
「…寝てりゃ治るだろ。」
「耳も悪くなったのか?俺はお前が治るまで世話してやるって言ったんだぜ。」
それから俺は何日か毅の家に通った。もちろん峠にも行った。メンバーに毅のことを聞かれるが、しらねぇ、とか、この前見かけたぜ、とか言っておいた。体調が悪いなんていったらあいつら押しかけてくるだろうからな。それはさすがに迷惑だろう。泊まったり、日をこえてから自宅に帰ったりして何日かが過ぎた。その間は俺がカレンダーをめくってやった。カレンダーの日付が変わらないのは、なんだか気に食わなかった。



そうして一週間がすぎ、毅が歩き回れるようになった。もう世話もいらねぇだろうと思い、俺は「じゃあ次に会うのは峠だな」と言って毅の家を出た。